2024年08月21日
「暇」と「退屈」
1974年生まれの「国分功一郎」先生が37歳の時に書いた哲学書『暇と退屈の倫理学』。
「暇」と「退屈」はちがう概念だ。
① 「暇がある」+「退屈している」
② 「暇がある」+「退屈していない」
③ 「暇がない」+「退屈している」
④ 「暇がない」+「退屈していない」

ある日 ほぼ毎日 ④ 暇ではない+書きたいことだらけ
ある日 台風停滞の日 ② 暇がある+警戒している
ある日 自治会活動 ③ 暇ではない+退屈な会議

子どもの頃、「つまんないな~」「なんか面白いことないかな」とよく口に出した。
高校で担任を引き受けたら卒業までの3年間を全うするのが不文律だった。
8人のうち1人だけ転勤してしまい、後釜を引き受ける人がいなかった。
だれでも新1年生から担任をやりたいからだ。
僕が手を挙げて2年で逃げてしまった担任の後釜を引き受けた。
生徒が「なんで担任を引き受けたの」と聞いてきた。
少し挑発的に「暇つぶし」と答えた。
生徒は「なぜうちの担任だけ転勤してしまったの」と思っているのだ。
しかし、いなくなった人に聞くすべはない。
就職・進学を控えた3年生の担任は「暇つぶし」どころではない忙しさ。
僕は陰口を連発した。
「〇〇は、すごいね。勉強はできるし、スポーツは万能」
「◇◇は、無口だけど熟慮タイプだね」
「△△は、思ったことを言える理想的なタイプだね」
陰口はかならず本人の耳にはいった。
担任は「暇」ではなく「退屈」でもない。
「人間の不幸などというものは、
どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。
部屋でじっとしていればいいのに、そうできない」(パスカル)
「退屈とは何か?バートランド・ラッセルの答えはこうだ。
退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものである。」(国分)

国分功一郎先生の哲学「概念」を聞いておこう。
「暇とは、何もすることがない、する必要のない時間を指している」
「退屈とは、何かをしたいのにできないという感情や気分を指している」
「暇」とは「時間」を指している。
「退屈」とは「感情や気分」を指している。
「なぜ人は退屈するのか?」
国分功一郎『暇と退屈の倫理学』は2011年10月、東日本大震災から半年後に刊行された
「毎日、目に入ってくるすべてのものに反応しているととても疲れてしまう」(国分)
僕はいま3日間、テレビの電源を入れないことを「選択」している。
すると疲れない、心安らぐ。
ふわちゃん、総裁選などどうでもいい。
テレビの電源を入れることは「暇つぶし」だったのか。

「暇」で「退屈」なときには「暇」と「退屈」について哲学してみるといい。
これを「気晴らし」「気分転換」という。
「貧乏暇なし」
「今日の 仕事は つらかった あとは 焼酎を あおるだけ
」

「余命3か月」には「暇」も「退屈」もない。
「余命不明」の森永卓郎さんには「暇」も「退屈」もない。
Posted by ゴーヤー茶. at 16:31
│ どぅ ちゅぃ むに~