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2024年08月02日

これ我が家の仏壇か

これ我が家の仏壇か


が亡くなってから母は20年間のひとり暮らし。

その頃の仏壇の写真を発見、2008年12月に撮影したものだ。

「うちは浄土真宗大谷派なんだよ」と母はいっていたが、

親鸞を知ったのは吉本隆明著『最後の親鸞』(1976)を読んでからだ。


流れ星


画像に写っているりんごの後ろに父の位牌がある。

は幼なじみである寺の住職に生前「法名」をいただいた。


は親鸞さんの教えより俗世間の見栄を優先したのか、

「〇〇院釋〇〇居士」と院号をつけてもらっている。

「釋〇〇」でいいじゃないか。


流れ星


この寺が茨城県下妻市の「光明寺」であることを10数年まえに知った。

親鸞の直弟子である明空(三浦義忠、三浦胤村)によって創建され浄土真宗の寺だ。


流れ星


「父の父」は福島県福島市生まれ、「父の母」は横浜市生まれ。

この父方の祖父・祖母夫婦は、横浜市で長男(僕の父)、長女を生んだ。

そして、大正12年9月1日に関東大震災で横浜の「〇〇写真館」が焼失。


茨城県下妻市に転居、「〇〇写真館」を再建したようだ。

この地で三男、四男、五男、次女、三女、六男、七男、四女、五女、八男を生んだ。


流れ星


長男は大正10年生まれ、八男は昭和21年生まれ。

なんと、八男・四女、合計13人の子どもを授かっている。


次男は26歳、次女は2歳、五女は0歳で亡くなっている。

戦前、戦中の「産めよ増やせよ」に忠実な国民だったようだ。


「父の父」の墓はここ「光明寺」にあり、八男が墓を守っているらしい。


流れ星


長男は僕の父で写真屋。

長女は漫画家・イラスト画家と結婚。

三男は食堂を経営、直腸がんで亡くなった。

四男は川崎で写真屋。

六男は書道で「毎日書道展」で受賞」、元看板屋。


墓守の八男以外はほとんど東京、埼玉、神奈川で出てきた。

それにしても13人も子どもを育てていたとは---




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Posted by ゴーヤー茶. at 05:58 │身の上話