2019年12月31日
終り旅 2日目その〈1〉 美々ビーチでのんびり
紅型のれんをバックに「ひぬかん」にささげる「炭飾り」とともに、あす新年を迎えます。
敗戦4年後、1949年に生まれた私ゴーヤー茶は70歳まで生きるとは思いませんでした。
2020年の字並びのいいこの年から、なお一層ふざけた人生を送ろうとおもっています。
まずは、ゴーヤー茶69歳から歳を取らないことにしました。
いつまでもロック(69)な人生! Shake it up, baby ! 鮭(シャケ)のベイビー!

2019年最後12月31日午後2時、ゴーヤー茶の住む神奈川県県央地区は気温21.0℃。
1時間後の午後3時には気温15.0℃へと急降下しました。
同じ午後2時、那覇市の気温は17.9℃、東京は16.4℃でした。
それにしても大晦日に21℃とは・・・なにかの前兆現象でしょうか?
いえ、単なるフェーン現象でしょうね。
終り旅の報告を続けましょうね。














「サザンビーチホテル&リゾート沖縄」は、旧暦で生活している糸満市にあるホテルです。
朝食でも「てびち」「ミミガー」「クーブイリチー」「ジーマーミー豆腐」、
そして「パパイヤサラダ」をいただきました。「ゆし豆腐」は大盛です。
沖縄の「終り旅」はのんびりするのが目的です。
ホテル前の「糸満漁港ふれあい公園」と「美々ビーチいとまん」を歩くことにしました。

あり、ヤシの木に突進した鳥がなにやら捕まえたようです。
イソヒヨドリの雄でしょうか。ヤールーを食べる瞬間を撮影することができました。
青空の向こうから旅客機がこちらに向かって飛んできます。
糸満沖から瀬長島、そして那覇空港に向かって旅客機、自衛隊戦闘機が飛来してきます。
数分おきに飛来するので騒音でのんびりできません。
別のイソヒヨドリ雌?が近づいてきました。
いつ作られたのか、木製のベンチ。海を見ながらぼ~としました。
その後ろ遠方に小さな島が浮かんで見えます。
6年間使い続け、最近急に電源が切れてしまう光学20倍のデジカメ望遠レンズに覗いてみると、
無人島のようです。
この小島を見ながら、空想を膨らませて連れ合いに作り話を語りはじめたゴーヤー茶です。
「昔々、この島には御嶽があり、糸満の人々は大潮の日に島に渡り、神に感謝の祈りを捧げていました。」
ゴーヤー茶の作り話を連れ合いは理解しているのか、理解していないのか、よく分かりません。

島の名前は、「岡波(ウカハ)島」。 いろいろと調べてみました。
ある糸満の人は、先祖代々、あの島に渡って拝んでいると言っていました。(やっぱりね)
岡波島には、旧日本軍の砲弾やクジラの化石などが残されているようです。
そして、糸満市と豊見城市の間で帰属争いがあったようです。
小島から一直線に陸方向にたどった所には波消しブロックが途切れ、砂浜が見えます。
大潮の日には、ここから歩いて岡波島に渡ったのかもしれません。

『日本の島事典』(1995年)には・・・
「岡波島(オカハジマ)」の項に「島尻郡豊見城市 面積0.00635K㎡」との記述あり。
『角川日本地名大辞典』(2009年)には・・・
「岡波岩」の項に、「沖縄本島南部、糸満港の北西方約3kmの海上に位置する岩礁。
方言ではウカハという。豊見城村に属する。」
『琉球新報』 2003/07/21
「豊見城市のクジラ化石調査/自然・環境学ぶ格好の材料/次代のため保存が先決/岡波島/
『領有権争い』は棚上げ」に、「岡波島は、国土地理院地形図では豊見城が村のころから同村の一部。
一方、薩摩藩の地図では兼城間切(現糸満市)の一部になっており、
島内にある御嶽は兼城の人たちの信仰の対象だったという説もある。
領有権争いでは、これらを根拠に両市が帰属を主張している。」

さてさて、薩摩支配の頃には、岡波島は「兼城間切」(糸満市)に属し、
1960年にできた国土地理院は豊見城村に属すると記録されているようです。
日本が実効支配している尖閣諸島は、中国では釣魚群島、台湾では釣魚台列嶼。
韓国が実効支配している独島は、日本では竹島。
さて、「岡波島」を実行支配しているのは、糸満か豊見城か?
そういえば、東京湾の埋め立て地をめぐって、大田区と江東区が所属争いをしていましたね~
ちなみに、我が家の冷凍室の左半分はゴーヤー茶、右半分は連れ合いと境界線ができました。
これは領有権争いではなく、自然にできた棲み分けです。
境界線がないのが、アメリカと日本。
この国の自衛隊は米国の言い値で不当に高い価格で戦闘機を購入しています。
ジャイアンがいらなくなったオモチャをのび太に高く売るつけるのと同じです。
のび太君は、いつも「ジャイアンは心の友だから」と泣き言を言うだけです。
自衛隊の戦闘機も米軍の戦闘機も、「岡波島」の上空を自由に飛び回っています。
また、イソヒヨドリが近づいてきました。こどものようです。


「カメラのレンズをお陽さまに向けるな!」と父親にうるさく言われて育った写真屋の息子は、
カメラのレンズを覗かずに撮影しました。
てぃだかんかん、旅客機、そして欄干に止まるイソヒヨドリ。
「美々ビーチいとまん」には連れ合いとゴーヤー茶、釣りをしている地元の中学生ひとりだけです。
モーターボートが「糸満フィッシャリーナ」から海上に出てきました。
「岡波島」に上陸するのでしょうか。
あのイソヒヨドリがまた近づいてきました。 「イチュマン」と名前をつけてあげましょうね。
翌日気がついたのですが、かなり陽に焼けてしまいました。
Posted by ゴーヤー茶. at 18:53
│沖縄暮らし