2024年04月21日
(必読)「秘露国」で亡くなった祖父の兄
3月1日から、全国どこからでも「戸籍証明書など」が取得可能になった。
本人、父母、祖父母、さらにその前の先祖まで「遡れる分すべて」を請求してみた。
「1時間半ほどかかります」と言われ、ランチを食べて戻ってきた。
3時間経過したところで、役所の係の人が近づいてきて、
「申し訳ございません。ふたりで点検をしているのですが、今日中には無理かと」
「全部で17部になり、12,750円になりますが---」
確認作業が終わったところで電話をくれるという。
翌日、おいしいヒレカツ丼を購入して公園のベンチで食べた。
ローゼン、マルエツなどに比べ、比較にならないほど美味しくて安いのだ。
那覇の「緑ケ丘公園」や「希望ケ丘公園」で食べたランチを思い出す。
「改製原戸籍」「除籍全部事項証明書(除籍謄本)」など17部。
父方の祖母、曾祖母、さらにその先---
母方の祖母、曾祖母、さらにその先---
遡れるのは「明治19年式戸籍(1886年式)」までである。
明治5年戸籍(いわゆる壬申戸籍)は、閲覧が禁止されている。
なぜなら「皇族、華族、士族、平民」といった身分登録があったから。
一般庶民は「農工商雑」といった職業及び業種も記載事項となっていた。
「雑民」とは、裏金の自民党、三菱重工のような武器商人のことをいうのでしょうか。
「秘露国」なる記述がでてきた。ロシア? 調べてみたら「南米ペルー」
「祖父の兄」は、大正7年(1918)にペルーの病院で32歳で亡くなっていたのだ。
ファミリー・ヒストリー
「祖父の兄」はペルーに移民として働きに行っていたのか?
ペルーへの移民第一陣は1899年、横浜港から790人。
移民会社が行っていたのは、合法の奴隷制度のようなものだった。
移民の人々はサトウキビ農家の労働者として、過酷な状況で、安い賃金で働かさた。
慣れない南米の熱帯地方で伝染病にかかり、124人の移民が1年間で亡くなった。
おれの「祖父の兄」は1918年にペルーのドスデマーョ病院で亡くなった。
1899年から1923年までで、83回の移民船が日本からペルーに渡り、
1万8727人の日本人移民がペルーで契約移民として上陸した。
Posted by ゴーヤー茶. at 08:28
│伝統と歴史