高台に向かう坂を上れば、泊港が見えるかもしれません。
なにやら遺跡やら史跡らしきものがありましたが、説明版が朽ち果てていてよく読めません。
14世紀に宮古島で暴威をふるった豪族「真佐久」が沖縄島にやって来ました。
沖縄島の中山国「察度王」の力を借りて宮古島を統治しょうと考えたのですね。
「んみゃーち」と挨拶したところ、「めんそーれ」と返され、
ミヤクーフツ(宮古言葉)とウチナーグチでは、言葉が通じないことに気づきましてね、
従者の高真佐利を那覇に留まらせて、琉球語を学ばせました。
自分で学ばずに、家来に学ばせるなんて、官僚の文章を棒読みする安倍晋三と同じです。
1390年真佐久は、中山国の察度王に朝貢し、宮古島の首長「豊見親」に任じられたといいます。
与那覇勢頭 豊見親 真佐久(よなはせどトゥユミヤまさく)という立派な名前をいただき・・・
1767年泊村に建立された「与那覇勢頭豊見親逗留旧跡碑」は、
70年前の沖縄戦で行方不明になっていましたが、戦後ここ那覇市上之屋に再建されました。
この地は、3年間で琉球語を習得した高真佐利の名をとって、「タカマサイ公園」と言うのかな?
白川浜を船出して一夜にして沖縄島那覇の泊に着いたという真佐久さん。
旧跡碑の海側には、大きな墓がいくつも見られました。
朽ち果てな墓でしょうか、誰も訪れた形跡がありません。
「柳氏 大宗 摩文仁 掟親雲上 康長」 & 「真和志 間切 牧志 地頭 康延」
柳は姓、「大宗」は門中の始祖、「間切」は村、摩文仁・真和志・牧志は地名ですよね。
「掟親雲上(掟ペーチン)」、「地頭」は役職・・・ようするに柳康長さんと柳康延さんの彰徳碑のようです。
西原間切の棚原地頭だった相英良ペーチン
東風平間切の友寄地頭だった相英安ペーチン
真和志間切の平安山地頭だった相英利ペーチン、というところでしょうか?
門中のみなさん、間違っていたら御免なさい。