これ我が家の仏壇か

ゴーヤー茶.

2024年08月02日 05:58



が亡くなってから母は20年間のひとり暮らし。

その頃の仏壇の写真を発見、2008年12月に撮影したものだ。

「うちは浄土真宗大谷派なんだよ」と母はいっていたが、

親鸞を知ったのは吉本隆明著『最後の親鸞』(1976)を読んでからだ。





画像に写っているりんごの後ろに父の位牌がある。

は幼なじみである寺の住職に生前「法名」をいただいた。


は親鸞さんの教えより俗世間の見栄を優先したのか、

「〇〇院釋〇〇居士」と院号をつけてもらっている。

「釋〇〇」でいいじゃないか。





この寺が茨城県下妻市の「光明寺」であることを10数年まえに知った。

親鸞の直弟子である明空(三浦義忠、三浦胤村)によって創建され浄土真宗の寺だ。





「父の父」は福島県福島市生まれ、「父の母」は横浜市生まれ。

この父方の祖父・祖母夫婦は、横浜市で長男(僕の父)、長女を生んだ。

そして、大正12年9月1日に関東大震災で横浜の「〇〇写真館」が焼失。


茨城県下妻市に転居、「〇〇写真館」を再建したようだ。

この地で三男、四男、五男、次女、三女、六男、七男、四女、五女、八男を生んだ。





長男は大正10年生まれ、八男は昭和21年生まれ。

なんと、八男・四女、合計13人の子どもを授かっている。


次男は26歳、次女は2歳、五女は0歳で亡くなっている。

戦前、戦中の「産めよ増やせよ」に忠実な国民だったようだ。


「父の父」の墓はここ「光明寺」にあり、八男が墓を守っているらしい。





長男は僕の父で写真屋。

長女は漫画家・イラスト画家と結婚。

三男は食堂を経営、直腸がんで亡くなった。

四男は川崎で写真屋。

六男は書道で「毎日書道展」で受賞」、元看板屋。


墓守の八男以外はほとんど東京、埼玉、神奈川で出てきた。

それにしても13人も子どもを育てていたとは---



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