てぃーだブログ › ゴーヤー茶日記 - どぅ ちゅぃ むに~ › 老いるということ › ただ生きる-余計なことは、しない

2024年03月02日

ただ生きる-余計なことは、しない




「私たちは自分とはまったく関係がないのに、他人を評価するのだ。それも圧倒的に否定的に。

ただ目障りだ、耳障りだ、というだけの理由で感情が動くのである。

そこで、一言いわずにはいなれなくなる」勢古浩爾『この俗物が!』(2003



20年も前の勢古さんはこんなことを書いていた。


読書と本を書くことが好きな2年先輩の「勢古浩爾」(76歳)さん。最近の著作は---


ただ生きる-余計なことは、しない』(2022.9)

無敵の老後-生きてりゃ、それでいいんだよ』(2023.4)

自分がおじいさんになるということ』(2023.12)


勢古浩爾さんほど吹っ切れた人生が送れない俺は、このタイトルを見ているだけで、こころ休まる。


流れ星


2003年には40%の世帯でインターネットが利用されていた。

2000年頃には「掲示板」での誹謗中傷が話題になっていた時期だ。

当時は「ネトウヨ」などという言葉はなく、「掲示板荒らし」と言われていた。


勢古浩爾さんはTwitter(X)やインスタグラム、フェイスブックなどには近づかないだろう。

最近は、俺もTwitterはできるだけ覗かないことにしている。

防災情報と他国の人のtweetを翻訳で読むことに限定している。




勢古浩爾さんのことをブログで取り上げるのは9回目だ。気になる先輩。


2022年12月10日 東京新聞に勢古浩爾さんのインタビューが載っている。東京新聞、センスいいね。




リュックを背負って帽子を被(かぶ)り、自転車で近所の図書館か喫茶店へ。

歩いて行く日もある。半日外で過ごした後、きれいな夕日に出合えたらデジカメでパチリ。


「余計なことをしない。余計なことは欲しない。そして何が余計かは自分の判断」。これが「ただ生きる」の極意だ。


世の中は無意味なもの、余計なものであふれていると感じている

文明は利器を作り出した半面、不要なもの、過剰なものも作り出した。


勢古さんはパソコンで電子メールを使うし、映像作品を鑑賞するためにユーチューブも見ているが、「携帯電話は全く不要」。


転機は二十代前半、友人に勧められて読んだ思想家・吉本隆明だった。


<結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ---

そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値ある存在なんだ>(『敗北の構造』)



同じカテゴリー(老いるということ)の記事
 口腔白板症 生検結果 (2024-05-14 16:22)
 「すこぶる」体調が悪い (2024-05-01 16:16)
 よろしく ございます (2024-04-30 06:19)
 10年後を想像する (2024-04-23 15:57)
 最後の寅さん (2024-04-15 08:21)
 腎臓機能を調べてみた (2024-04-04 05:08)

Posted by ゴーヤー茶. at 05:08 │老いるということ