2024年10月19日
「感情」が「商品」として売られる
「医師や看護師の感情労働などの非物質的労働では、
工場の労働よりもひどい形で、疎外され、搾取されています。
ここ個人がそれぞれに持っている感情が商品として販売されています」
(「マイケル・ハート」アメリカの哲学者64歳)
病院の「救急外来」で働いている息子は、患者の「死」に遭遇することが多いだろう。
息子はどんな「死生観」を持っているのだろうか。
「今日、西田敏行が死んじゃったね」と話しかけたら、知っていた。
原発不明がんで月100万円以上の治療費がかかるという森永卓郎(67)さん。
深田萌絵さんのYouTubeで長男の森永康平さんとゲスト出演していた。
森永卓郎さんと長男の話が合わない。「収集オタク」の父と話が合うわけない。
二人の間に流れる「空気」と同じ「空気」が、俺と息子の間にも流れている。
「子育てするつもりがなかったら、結婚もしないし---」と長男の康平さんが呟く。
康平さんの言葉に俺は「そうか、そうだったのか」と呟く。
俺は、結婚する機会があればしてもいいと考えていた。
そして結婚し、子どもが生まれたから育てた。
妻子の生活費を稼ぐためには、転職・移住はできないと思った。
「子育てしたいから結婚」と考える若者がいるのだ。
「子どもが欲しくないから結婚しない」というのもありかも知れない。
もし俺が今の時代に30歳だったら、間違いなく結婚しない。
選ぶとしたら「事実婚」。子どもができたら結婚するが。
「単身」がもたらす「選択の自由」をなによりも手放したくない。
「婚姻」には「扶養義務」「同居義務」「貞操義務」、民法上の義務がある。
八重山諸島をうろついていた頃「久高さん」に出会った。
沖縄で半年働いて、半年はネパール、インドなどを旅行するという。
久高さんは、マラリアにも罹患したことがあるといっていた。
「転職の自由」「移住の自由」は、山下清の「放浪の自由」だ。
「遊牧民」は定住してはならない。「農耕民」は定住する。
「放浪の旅」は車寅次郎だ。そこが渡世人のつれ~とこよ。
1967年 ドラマ『渥美清の泣いてたまるか』「先生早とちりする」の巻。
1970年 西田敏行さんは明治大学農学部を中退、「劇団青年座」へ。
「劇団青年座」には先輩、津嘉山正種さんがいた。
1970年 俺は中央大学商学部2年生。
Posted by ゴーヤー茶. at 10:30
│あの人のこと