2024年03月16日
無名の鬼となれ 成田悠輔の引き際
「SNSは情報の喫煙とも言えるもので、多くの害、知的な害をもたらしています。」
「インターネットは危険な情報の高速道路のようなもので---
道路に交通規制があるように、インターネットにも規制が必要なんです」
マルクス・ガブリエル(44歳) ドイツの哲学者
キリンが「高齢者の集団切腹」を提案する成田悠輔を缶酎ハイCMに起用。
多くの批判を浴び、成田悠輔のCMを削除した。成田悠輔は削除されたのだ。
「性格形成の大部分は乳児期・幼児期で終わるといっても同じことだ。
・・・逆にいうと、この乳幼児期に形成された無意識の性格の変更は、まずできないということになる。」(吉本隆明)
「結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないか」と成田悠輔が発言したのは36歳の時。
彼は同時に、「やっぱり人間は引き際が重要だと思う」、「人は適切な時期に”切腹”すべし」とも発言している。
彼の「引き際」はいつなのか。彼が切腹する「適切な時期」はいつなのか。
成田悠輔の発言に怒るリベラル老人がいるが、発言内容より、なぜ彼がこの発言をしたのかに俺は興味がある。
成田悠輔の「乳幼児期に形成された無意識の性格」に興味がある。
「若者は選挙に行くより、独立国をつくるべし」とも彼は発言している。
「〇〇すべし」という上から目線の言い草は、かれの「乳幼児期」の性格形成を暗示させる。
彼には、「若者よ、おれと一緒に独立国をつくろう」といえないのだ。
36歳の成田悠輔は「若者」でも「高齢者」でもない。だから「若者よ」「老人よ」といえるのだ。
「成田悠輔 母」で検索してみると---「母」より「父」の生涯が壮絶だが、俺は母子関係に興味がある。
「家庭はぐちゃぐちゃで、僕が小学校に入った直後ぐらいには、父親も働いていたかどうかわからないような感じでした。母親もサラ金の返済をするために、細々と働きながら。」
「小学校に入ったあたりには、プレハブ小屋みたいな、プラスチックでできているようなすごく安っぽいワンルームアパートに家族4人で住んでいて。ゴキブリが出て起きるみたいな、もうだめだめの典型みたいな家庭にいたんですよね。」
成田悠輔にとって「家庭」は、「欠落」だったのか。
「いろいろな事情で不登校気味で、満足に学校での教育を受けることもなく、ふらふらと10代を過ごしてしまった」
「(父は)夜中にギャンブルをしては、サラ金とか街金で借金を作ってきて、こそこそと家に戻ってきて、
それを母親が見つけ出して怒鳴り合いがスタート。だいたいその怒鳴り合いを聞いて朝起きる、
という感じの子ども時代を過ごしていたんですよね。」
「自分自身も体が弱くて、体力がなくて。睡眠障害というか、学校に行く途中の道で寝始めちゃって。
ベンチでずっと昼まで寝てるとか、起きたら夜みたいなことを繰り返してるんです。」
https://logmi.jp/business/articles/327811 「ログミーBiz」より
成田悠輔にとって学校は友達に会いに行くところではなく、「教育を受ける」ところなのだ。
「ワンルームアパートに家族4人」暮しだが、成田悠輔は「麻布中学・高校」に入学して卒業している。
いわゆる「お受験」、私立の中学一貫校のエリート男子校「麻布中学・高校」。
実は父親も「麻布中学・高校」卒業。成田悠輔の「お受験」は、父親の意思と推測される。
成田悠輔は「データやエビデンスを活用することによって真の幸福が訪れるという「幸福なデータ奴隷」論を提唱」
俺ふうに言えば、「データや科学的根拠により〈真の幸福〉が訪れるという宗教的「共同幻想」の信者である。
〈真の幸福〉と〈母親〉から疎外された「乳幼児期の無意識の性格」からデータへの信仰(=奴隷)が生まれたといえよう。
そんな成田悠輔だからこそ、団塊の世代の「集団増加」は、「集団自決」「集団切腹」によって解決するとなる、データ的に。
成田悠輔の発言を聞いた時、深沢七郎の『楢山節考』を思い出した。「姥捨て山」思想。優生思想。生産性思想。
「高齢者は集団自決を」という彼の提案は、ひょっとしたら自らの父母に向けた「復讐」の提案だったかもしれない。
バイデン(81)、麻生太郎(83)、二階俊博(84)、森喜朗(86)は「老人」という「データ」に過ぎない。
老人は火縄銃のようなものだ。撃とうと思ってから撃つまで時間がかかる。機関銃や散弾銃にはかなわないが、時間をかければ大砲を撃つこともできる。
「ぼくは褒めてほしかったし、かまってもらいたかった。褒められた経験がないから、ぼく自身も褒められることがすごく苦手で、
人を褒めることもうまくできない大人になりました。」(堀江貴文著『ゼロ』)
「(母は)性格的にはとにかく激しい人で、他人の意見をひとつも聞かないまま、独断で物事を進める、
そして絶対に自分の意見を曲げない」(堀江貴文著『ゼロ』)
成田悠輔、堀江貴文---「乳幼児期に形成された無意識の性格の変更は、まずできない」(吉本隆明)
吉本隆明・谷川雁とともに『試行』を共同編集していた文学者「村上一郎」は、
1975年、自宅で日本刀により頸動脈を切り自死を遂げた。54歳。
俺ゴーヤー茶は、村上一郎の個人誌『無名鬼』を定期購読していた。
「生きては有限の身となり、死しては無名の鬼となる」
1970年代、俺は村上一郎著『北一輝論』、『草莽論』、『振りさけ見れば』を読んだ。
成田悠輔よ、腹を切るなら54歳だ。お前は高齢者といわれる日まで生きのか。
Posted by ゴーヤー茶. at 05:08
│あの人のこと